【柔道部】新たなスタート・1
2022年が始まりました。
稽古初めの今日は『初心に帰る』という意味も込めて、柔道部を日本文化の視点から考えてみたいと思います。
柔道の創始者である嘉納治五郎は、体育の父、日本五輪の父と言われるのはご承知のとおりかと思いますが、人格形成の教育に取り組んだ実績から『教育の父』とも言われます。
様々な文献によると嘉納治五郎は向学心の高い人物で、父親に付いて10歳で上京した時から書道の他、英語やドイツ語などの洋学、漢学を熱心に学んでいますが、柔道の極意が「柔よく剛を制す」にあるとおり、他の武道と同じように柔道にも漢学が反映されています。
漢学とは中国の学問のこと。その源流は儒学で、日本には文字とともに伝わり、以後、日本の社会や文化、精神(こころ)の土台となっています。儒学の根幹をつくった孔子は、自分の身を修めて(行いを正すこと)人と交わる時の教えを説きました。それをまとめたのが「論語」。論語500章句のうち44章句で説かれているものがあります。それが「礼」です。
「礼」とは相手を尊重する心のことです。「礼に始まり礼に終わる」言葉に示されるように、武道の根底に礼節や道徳があるのは広く知られていることです。
本校の柔道場には、かつてここで稽古を積んだ卒業生が度々訪れます。謙虚な人がいる一方で横柄な態度をとる人もいます。過日、後輩の挨拶に反応しない上級生の態度を記しましたが、指導者であれば後に続いた者のために控えめに振る舞うとか、OBや先輩であれば片付けをする後輩のために早めに帰り支度を整えるとか、年下の者への思いやりを持てていないことに気づけていない、自分に向けられた気遣いに「ありがとう」の気持ちがない場面があるのは、名前がある宮工柔道部なだけに、大切なものを置いてきている気がして残念です。
日本発祥の武道が大切にしてきたものは、宮工で長く続く柔道部が大切にすべきものは、そういうことではないはずです。そもそも、「年下に〜させる」「年長者だから〜してもいい」という感覚は一般社会にありません。嘉納治五郎は柔道の理念に「精力善用」を掲げていますが、かつて在籍した者として「俺はここにいたんだ」と先輩風を吹かせるのではなく、現在ここにいる後進の者たちを立てて自分を生かすことも、その体現ではないかと思います。
「論語」には、このような章があります。
君子は義以(も)て質と為し、礼以て之を行ない、孫以て之を出だし、信以て之を成す。君子なるかな。
「人格者は義(人としての正しい行い)を土台とし、礼節に従って実践し、謙遜の気持ちをもって言葉と態度で表し、信頼されることで義を貫く。尊敬される人はこうあるべきだ。」
君子は泰(やすら)かにして驕(おご)らず。小人は驕りて泰かならず。
「人間のできている人は、ゆったりとして高慢でない。人間のできていない人は、威張り散らして落ち着きがない。」
自分にとって大切な場所だからこそ、そこを去った後は遠慮して距離をとる、立ち入った際には控えめにする。それが、自分と入れ替わった人に対する思いやり、社会全般の礼儀ではないかと思います。伝統を守るとは、集団にとって大切なものを継いでいくこと。宮工の柔道部をつくってこられた方々が存在を誇示しなくても、後輩たちは過去の実績をきちんと理解しているし、この先輩のこういうところを尊敬する、という話もよくしています。だからこそ、「宮工柔道部ならこうあるべきだ」の姿勢に「礼」が伴わないのは、伝統を語れる柔道部であるだけに、もったいないと思うのです。自分が居心地のいい環境を残しておくこと、自分が所属していた時の空気を前面に出すことを、伝統を守る、とは言わないのではないでしょうか。
武道において、なぜ、礼が重んじられるか。それは、社会生活で自分が優位に立った時や敬われる立場になった時、自分に酔い、扱いにあぐらをかくことなく、周囲に感謝する気持ちを表す心をもっていることが人として何より大切だからだと思います。
先日、全日本フィギュアのリンクで製氷作業員に丁寧に頭を下げる羽生結弦選手の記事がありました。MLBで活躍する大谷翔平選手がグラウンドのゴミを拾う様子も、以前、ニュースに取り上げられました。東京オリンピックでは、長時間の作業の後、全てのメディアが去るまで見送るボランティアの姿が賞賛されました。
気遣いや思いやりは、一流選手だからできて当然、年下だからしなければいけない、のではなく、どんな相手にもどんな場面でも誰もができるもの。たくさんの人が行動に現すことでお互いが気持ちよく過ごせる、日本に根づいた精神の美しい部分です。柔道で言う「自他共栄」の理念とも重なります。長く続く宮工柔道部に所属していたからこそ、これが自然に所作に表れる人であってほしい、伝統を重んじる宮工柔道部だからこそ、柔道の大元の部分を大切にする集団であってほしいのです。
柔道場は校舎の端の小さな箱です。人の目に触れることが少ないこの狭い空間で起こることを当然と思ってしまうと、それが根拠のない特別感になり錯覚を起こします。今の時代、精神論は馴染まないかもしれませんが、それでも「礼」が不要になることはないはずです。強いからこそ、歴史ある学校の一部活動だからこそ内面を大切にして、子どもたちが「宮工の柔道部だったから、人としてこういう風に成長できた」と思えるように、正しいこと、善いことを習慣づけていきたいです。
本年もよろしくお願いいたします。