日誌

【柔道部】コーチボックス

畳の上に立ったらひとり、と送り出された7名の選手。1月14日(土)は、全国選手権埼玉県予選(個人戦)でした。

宮工の選手は4つの試合場に散らばり試合に臨みました。2回戦以降はほぼ同時のタイミングで畳にあがる部員たち。監督は試合場をスライドして檄を飛ばしていました。コーチボックスでじっくり観ることができたのはごくわずか。選手たちは短い時間に聞こえる監督の声を勢いに変えて、果敢に攻めます。

66kg級には4人の選手が出場し、秋季地区大会でワンツーを飾った飯島と粕谷は丁寧な試合運びで勝ち進みました。先に決勝進出を決めた粕谷は飯島の準決勝戦を見守り、勝って畳を降りた飯島と握手。鯉渕先生に言われた通りにできたね、と声をかけました。「県大会も2人が引っ張っていけ」という言葉を覚えていた飯島も、よし、やるぞ、と、短く答えて集中を高めます。

決勝戦を待つ間「この試合どういう気持ちで見ればいいんだろう、って監督が呟いていましたよ」と、他校の先生が教えてくれました。どちらの実力も理解しているだけに、“一人”が決まる場に立ち会うのは複雑です。

同門の試合は他校の選手であっても見守るのみ。鯉渕監督もコーチボックスに入らず、離れたところから見届けました。互角の勝負の軍配は粕谷に上がり、昨年度の須川朝陽に続き、ー66kg級で2年連続の全国選手権出場を決めました。 

表彰式の後、監督は、決勝で競れたことはよかったと、噛み締めるようにお話しされていました。出場した1年生には可能性や手応えを感じた者もいたようです。それを確実なものにするために負けた試合を個々が振り返り、やるべきことを自分に課さなければなりません。

 
15日(日)の団体戦は、新人大会の課題を克服するチャンスでした。

ウォーミングアップに先立ち、監督は「昨日の試合は一旦忘れる、団体戦の頭をつくろう」と伝えました。団体戦は一試合ごとに選手の入れ替えが可能なオーダー戦。互いに予測が難しい今回の試合は『取る人が取ってくる』が絶対条件です。

初戦に勝ち、ここから加速するぞと鼓舞された選手たちは他校の試合進行を眺めながら気合を入れ直します。指定席に腰を据えた監督は「早く勝つ、きれいに勝つは考えない」と短く指示して選手たちを送り出しました。

 

前日の疲労は、できない言い訳になりません。動きの重さを自覚しながらも攻める手を緩めない飯島。ここまで期待されながらなかなか結果を出せないでいる1年の島村も、珍しく大きな声を出して一本を取りました。

正念場が続く選手たちに監督が伝えたのは「一歩踏み込んで冒険する」こと。その結果の負けは気にしない、試合の中で切り替える。できることをしっかりやり切る。試合の間隔が短い中で審判も務めながら、明確な言葉で選手たちのギアを上げます。

 

準決勝は新人大会で苦杯をなめたチームとの対戦でした。相手は体格差のある選手ばかりです。「運動量で勝つ、もっとできる」と監督から勇気をもらい、畳に上がりました。

定位置から響く監督の声にいつもなら顔を向けるはずが、焦りからか反応が遅れます。出番を待つ選手たちは仲間に声をかけ続けました。キャプテンの新井が必死に意地を見せ流れを引き込もうとしましたがチームとしてあと一歩が足らず、前回と同じ展開で負けを喫しました。

冬休みの出稽古の際、試合の内容が大切と繰り返し指導をされて臨んだ大一番。負け方が前回と変わらなかった今回の内容は「悪い」の一言に尽きるのではないでしょうか。納得のいく結果でなかったことは選手たちがいちばん理解しています。


悔しさを忘れないための写真です。

チームとして変えるべき部分を変えられなかったことが一番の敗因。試合後、3年生も含め全員が集まったところで「負けを受け入れる」「これくらいはできるだろうという甘い考えを捨てる」と話し始めた鯉渕監督は「足りないことが多い自覚をもつ」という一言で総括を締めくくりました。試合ができて良かった、3年間続けられて良かった、で満足するチームではありません。ひとりひとりの、自分がやる!という覚悟が強い宮工をつくるのです。


《試合結果》

個人戦

-66㎏級    粕谷 1位  飯島 2位  高橋 ベスト8

無差別級  新井  ベスト8


団体戦

川口市立 1−2 大宮工業

秩父   0−5 大宮工業

松山   0−5 大宮工業

武蔵越生 2−1 大宮工業   第3位