日誌

2023年1月の記事一覧

【柔道部】3年生の支え•2

本日の稽古には水島と須川が参加してくれました。須川は昨年度の全国選手権出場者。2年生たちは競うように当たりにいっていました。

「勝つためにできること」を合い言葉に、ここからは強みの徹底、自分を助ける武器=“枝”を増やす、を意識して調整期間に入ります。

 

全国選手権予選まで、5日。

【柔道部】3年生の支え

昨日、練習に参加してくれたのは水島。乱取りはもちろん、本格的に体を動かし始めた山﨑の基礎トレーニングを観察し、細かくアドバイスをしてくれました。

今日、来てくれた深井は稽古の後に行ったラントレとダッシュも一緒に取り組んで、後輩たちを盛り上げてくれました。

 

鯉渕監督にとっては、とにかく体調不良者が出ないことを祈り神経をすり減らす毎日が続いています。出場選手が道場にそろわない状況は稽古の雰囲気にも影響します。そんな時、技術面でも精神面でもしっかりと練習相手になってくれる3年生の存在はありがたいです。

 

全国選手権予選まで、6日。

【柔道部】それぞれの選手権

カウントダウンボードの数字を変えるキャプテンの新井。

教え子たちの1位の賞状を見上げる監督。

決勝で戦うことを約束し、他校選手の研究に余念がない粕谷と飯島。

柔道場にはさまざまな思いが見え隠れします。

 

全国選手権予選まで、7日。

【柔道部】見えざる敵

年も明け、大会に合わせて仕上げをしようという時期。

柔道部ではインフルエンザが流行りつつあり、稽古の合間も手洗い・うがい、水分補給の声かけをこまめにしています。この時期の体調管理は慎重の上にも慎重に。大げさなくらいがちょうどいいのかもしれません。

好んで体調を崩す人はいませんが、ここに懸ける!という気迫や緊張感は“油断”を遠ざけます。採用試験や受験にも同じことが言えると思います。

最後は気力。

見えないものが自分の力にもなるし、それで足をすくわれることにもなるのです。

 

全国選手権予選まで、8日。

【柔道部】新たなスタート・2023

明けましておめでとうございます。

 

昨年の稽古初めは『論語』を題材に柔道の根底を考えました。2023年も柔道の内にあるものを改めて意識することから始めたいと思います。

 

孔子の教えをまとめた『論語』。ここに著された儒学の教えは、弟子たちが発展させて社会に広められました。そのひとりが孟子。「仁は人の心なり( 思いやりの心はすべての人がもっているものである)」と説き、性善説を唱えた人物です。

性善説とは「人は生まれながらに『善』を備えており、それに向かう心をもっている」という思想で、孟子は心の到達するところを「四徳」に示しました。四徳とは、

仁…困っている人を助けようとする憐れみの心

義…悪いことをするのを恥ずかしいと思う心

礼…譲り合い、他人を敬い、慎む心

智…物事の善悪を判別する心

という4つの心根のこと。孟子は、世の中が安定するには人の心が安定していることが大切だと考え、道徳的な判断力を重視したのです。

(余談ですが、「四徳」を高め常に道徳心を養っている人のことを大丈夫(だいじょうふ)と言います。私たちが日常で用いる意味とは異なりますね。)

 

「道徳的な判断力」とは「みんなが気持ちよく過ごすために、どんな振る舞いができると良いか考えて行動に表すこと」と言い換えられると思います。

自分の物は自分で管理する・片づける、というのは幼い頃から躾けられる習慣のひとつ。ところが、自分が出したゴミは散らかしっぱなし、後輩に道着を洗わせる、お弁当を温めさせる。恥ずかしい話ですが、かつての宮工柔道部では、こんな習慣が常態化していたそうです。練習後に道場を掃除して施錠をするのは現在も下級生の役割ですが、以前は稽古の後、部室で遊んでいる先輩が帰るのを何時間も待っていなければならなかったという話も聞きました。これらはすべて、道徳心に欠けている例ではないでしょうか。今でも時折、手を借りなくてもできることをわざわざ後輩に “させる”上級生が目に入ることがありますが、そのような時は徹底して厳しく指導しています。「自分たちもやらされたからやらせる」で続く習慣は無意味な伝統ですし、それは、強さを求めるうちにそれが権力になってしまったひとつの過ちのように感じます。

 

私たちの生活にはルールがあります。

スポーツにもルールがあります。

なぜか。「こうできるといいね」 と考えて実行する人たちの中に「これぐらい、いいじゃん」 と思う人が少なからずいるからです。

たとえばコロナ禍以降、団体戦の際に道着で試合場に入る選手の人数には規定が設けられました。試合をする人以外はマスクをする、選手以外は観客席で応援する、などの決まりもありましたが、毎回、守られていない場面が見受けられました。また、柔道に限らず、勝ち負けのある競技で戦う中、隙をついて狡いことをするのも戦術と考える人もいるのではないでしょうか。

注意されなければ近くで応援してもいい。

近くで観戦したいけど我慢する。

ずるをして勝った。

負けてしまったけれど堂々と戦えた。

下級生は先輩のために動いて当たり前と思う。

年下の者が有効に時間を使えるよう気配りをする。

きれいごと、理想論、と言ってしまえばそれまでかもしれません。けれど、どちらが嘉納治五郎が教育に組み込んでまで残そうと考えた「柔道」の理念に沿っているか――答えは明白です。社会生活において、みんなが「こうできるといいね」と思いやりをもって過ごすことができれば規則やルールは必要ありません。きまりができるのは、自分の欲や主張を優先する人がいて、そういう人たちが増えると衝突が起こったり不愉快な思いをする人がいたりするからです。ただ、「これはだめ」「こうしなければいけない」と規制ばかりになるのは窮屈。だからこそ、他者を思いやる心が大切なのです。

 

孔子は「思いやりの気持ちを大切にして礼儀正しく生きましょう」と説きました。これが素地となって「精力善用」「自他共栄」の精神が生まれ、「善」が発展したのです。柔道の精神にも「善」が含まれているならば、それこそが柔道をとおして養える人間力ではないでしょうか。

部員たちは日頃の稽古で、鯉渕監督から「柔道以外の場所でどう見られるかが大切だよ」と諭されています。また、大会前日の練習後には「宮工は正しいことをしよう」の一言を伝えられています。年末にいらした卒業生の一人が「大学に入って、柔道が強くてもそれだけじゃダメなんだって分かった」と話していましたが、これは本人の学びに加え、内面を鍛えることが個々にとって本当の糧になるという監督の想いが教え子たちに浸透している表れだと感じます。

強い人が優れているのではありません。

自身の欲や損得から離れ他人の立場で考えられる人が優れているのです。

東京オリンピックの決勝戦、勝ち名乗りを受けたあと深々と頭を下げた大野将平選手。悔しい敗戦の直後、これまでと同じようにロッカールームを清掃し「ありがとう」の言葉を残したサッカー日本代表。彼らは褒められたいという欲でそのように振る舞ったのではないはずです。こうした行いは本来大袈裟に取り上げられるものではなく、「こうできるといいね」という日本文化の誇らしい道徳心であると同時に人格形成の道とされる柔道の根本にも通ずる部分のような気がします。

 

理想を体現するのは難しく、それだけではどうにもならないことも世の中にはたくさんあります。けれど、だからこそ、心を鍛えることが必要なのだと思います。「心技体」の所以もここにあるのではないでしょうか。

柔道のもつ伝統を大切にし、「こうできるといいね」を自然に実行できる宮工柔道部でありたいです。

本年もよろしくお願いいたします。