日誌

柔道部日誌

【柔道部】微に入り細を穿つ

2月4日から修学旅行に参加していた2年生が無事に帰宅し、久しぶりに全員そろっての稽古です。

鯉渕監督からは「特別な場所に立つに相応しい取り組み方をしよう」とお話がありました。ここからは、ワンランク上の“気持ちの勝負”です。

一つ一つの事柄を丁寧に。

苦手なパターンから逃げない。

できることに油断しない。

きつい時、自分に手加減しない。

ひとりひとりの意識がチーム力を高めます。

稽古前、団体戦メンバーは監督からこのような用紙を受け取っていました。

たくさんの人に向けて自分で自分のことを語れるチャンスは、そうありません。自分を理解してほしいならばそのための努力や心掛けが必要。ただし、それらを実践していても全員が機会を得られるわけではないのです。社会の厳しさも愚直に取り組んだ先の達成感も日の当たらない人たちへの思いやりも、柔道を続けてきたからこそ知ることができる貴重な経験であり育つ心根ではないでしょうか。 

だから『なあにっ』と踏ん張ることが大切なのです。

【柔道部】相互理解

柔道のルール改正が話題になっています。

2024.12.11 共同通信

2025.1.24 デイリースポーツ

2025.1.24 全日本柔道連盟

 

学年や時代の流れによるルールの変化は起こり得るもの。認識の違いを意識せずにする稽古は怪我にもつながります。したりさせたりというのは、お互いに良い気持ちはしません。目の前の相手に向き合う時、その背景にも心を配れると、思いやる力・考える力に磨きがかかるのではないでしょうか。

2月の土日・祝日は、出稽古等も組み込みながら校内練習の予定を立てています。全国で戦う現役生たちの成長のために、先輩方にはお力添えのほど、お願いいたします。

【柔道部】後ろ盾

朗報を聞き、一番に来てくれたOBは粕谷と根米の2人。

鯉渕監督に挨拶を済ませると後輩たちと握手を交わし、稽古をつけてくれました。

後輩の偉業を素直に喜んでくれる先輩たちに感謝です。 

【柔道部】日頃の行い

30年ぶりの全国大会出場を決めた喜びから数日が経ち、柔道部は気持ちを新たに稽古に励んでいます。本日、稽古を始めるにあたり監督は「波に乗っていこう」とお話をしてくださいました。

団体戦優勝を決めたその日、一人の先生からこんな話を聞きました。「そういえば今朝、柔道部のベンチコートを着た子に道を譲ったら会釈して通り過ぎた。毎日の指導だね。」

1年を通して多くの大会に出場している柔道部は、壮行会や練習時間の配慮など、数々の心配りをいただいています。

部活動ができるのは周りの理解や応援があってこそ。ですから、行事の折にはささやかなお手伝いで恩返しをします。過日の大会でも、出場選手が取材を受けている裏でサポートメンバーが、選手たちも少しでも…と、当たり前のことですが、取材後は慌ただしく会場の片付けに参加しました。
強いだけにならない、応援されるチームになろう、が宮工柔道部の合言葉。前述の出来事は、本人の人柄に加えてチームとしての普段の意識もあると思います。

柔道の技術以上に、人間性がきちんと育っていることが分かるのは嬉しいものですね。

【柔道部】それが大事

全国選手権大会埼玉県予選は、毎年1月に行われます。

20日の個人戦には3名の選手が出場しました。いずれも1年生。良いところもあり課題もあり、先につながる大切な経験となりました。

21日は団体戦。終わった瞬間「一年間のモヤモヤが晴れました」とキャプテンの坂本がホッとしたように呟いた、チームでずっと目標にしてきた重要な1日です。

前日、「明日は2年生が踏ん張る番です」と先輩からメッセージをいただき、当日は開始式を前に「一戦一戦、全部出し切ろう」と、鯉渕監督と思いを一つにして挑みました。

何もさせない、相手を待たず自分から、の二試合。

ギアを上げろと鼓舞された準々決勝。

正念場となった準決勝。

決勝戦は代表戦にもつれ込む総力戦でした。2年の埜口が磐石な試合運びで勝ちをもぎ取り、大宮工業高校柔道部30年ぶりの全国選手権大会男子団体戦出場を決めました。

チームを大きな結果に導いた監督は、宮工柔道部OBの監督という立ち位置から、ここまでプレッシャーも大きかったはずです。同時に、複数年チームを見る中で子どもたちの変化や社会の変化を感じるにつけ、相当辛抱してきたのではと思います。その中で、母校のチームを率いる監督として団体で全国にたどり着き現役の子どもたちに自信をつけさせることができたのは監督冥利に尽きるのではないでしょうか。

チームを引っ張る2年生は入学してからずっと、鯉渕監督についていくのに必死でした。監督の「ここまで上がってこい」に余裕を持って並べたことはなく、受け止めきれずに苦しくなったことも一度や二度ではありません。3年生の引退後、腹が決まったのか「できることを徹底する」個々の意識が強くなり、毎日の稽古後にはその日の内容を振り返る会話も増えたようです。当たり前のことかもしれませんが、誰に言われたわけでもなく自分たちでつくった空気感が今回の結果につながったのだと思います。

『負けない事

 投げ出さない事

 逃げ出さない事

 信じ抜く事

 駄目になりそうな時 それが一番大事』  (大事MANブラザーズバンド『それが大事』)

選手、監督それぞれに誇れる試合となりました。関係者の方々、機会がありましたら、緊張の期間を乗り越えた選手たちと監督に労いの言葉をかけていただけると幸いです。

改修工事に伴い、本年度は県内外問わず例年より多くの学校にお邪魔することとなりました。本当にお世話になりました。

応援いただいた保護者の皆様、たくさんのサポートをありがとうございました。

全国選手権大会は、3月19日(水)・20日(木)、日本武道館で行われます。変わらぬご声援をお願いいたします。

 

《試合結果》

個人戦

−60kg級 手塚(ベスト16)

−81kg級 青柳(第3位)

無差別級 武内(ベスト16)

団体戦

大宮工業 5ー0 県立川越

大宮工業 5ー0 桶川

ふじみ野 0ー4 大宮工業

大宮工業 3ー1 立教新座

大宮工業 1ー1 武蔵越生

     代表戦 相手選手の反則負けによる勝ち

     第1位・埼玉県第二代表として全国選手権大会出場

【柔道部】カウントダウン

大会3日前。髙橋、島村、佐川のサポートが続いています。

乱取りの最中に絶えず声を掛けてくれたり、投げ込みの様子を見ながらアドバイスの仕方をイメージしたり。

自分たちへ向けられた想いに応えたいです。 

【柔道部】決意

週末、体調を崩して稽古に出られなかった福島。復帰した本日、なんともさっぱりした頭になっていました。

鯉渕監督は「気合い入れたのか」と一言。本人も少し照れくさそうにうなづいていました。

些細なことかもしれませんが、こうした決意の表し方、カッコいいですね。

【柔道部】上を見て

新学期最初の週末です。

昨日、今日の稽古には3年生が来てくれました。

いつものことながら佐川は陰の部分で労を惜しまず、基本動作の反復を続ける後輩の受けになってくれました。

島村も手加減することなく、重量級の選手に胸を貸します。

前キャプテンの髙橋も、得意としていた技を後輩にかけ、簡単に逃さず指導してくれました。

最後のトレーニングも一緒に!疲労が蓄積されているタイミングで、後輩たちに大きな一押しです。

週明けには代表者会議が行われます。

いよいよ、緊張が高まります。

【柔道部】2025年 稽古始め

あけましておめでとうございます。

2025年、稽古始です。

例年より長い年始のオフ。予定表を見た卒業生は「大学生の帰省期間みたい」と笑っていました。

本日は寒空の下、ラントレからスタート。快調なペースで走り切ったのは福島。じっくり淡々とノルマを終えたのは埜口です。


さて、昨年も実に様々なニュースがありました。その中で埼玉県に深く関わることといえば、7月に発行された新紙幣。1万円札の顔・渋沢栄一は深谷市の出身です。「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢は教育事業にも熱心で、一橋大学や東京工業大学、日本女子大学といった数々の大学も設立しました。

そんな渋沢が取り組んだ都市開発のための鉄道建設を担った、五島慶太という人物がいます。彼は後に東急グループの創業者となりましたが、向学心に燃え入学した東京高等師範学校(現・筑波大学)で嘉納治五郎の講義を受けています。

この時の有名な話。

『その講義の変わっていることは、はじめからしまいまで「なあにくそッ」の一点張りで、ほかのことは何も説きやしない。これは柔道の方から来た不屈の精神の鼓吹で、勝っても「なあにっ」、負けても「なあにっ」、どっちに転んでも「なあにっ」であった。』

五島は、世の中へ出てからいちばん頭に残りいちばん役に立ったのは先生のこの言葉だと懐古しています。

余談ですが、渋沢栄一と嘉納治五郎は同じ漢学塾に縁があります。2人はここで論語を深めました。「道徳と教育を重んじ理想的な社会を実現する」という軌を一にした彼らとの関わりは、事業家・五島の理念にも大きな影響を与えたのではないかと思います。

 

昨年、28歳で引退し年寄「湊川」を襲名した貴景勝関。

身長175に満たない小柄な体格で大関まで上り詰め4度の優勝を果たした角界の雄は、指導者としての抱負を「武士道精神を持った、僕が昭和の先輩から教えていただいた根性と気合を持った力士を育ててみたい」と語っています。一門の大先輩にある親方は、「今の時代、スポーツの世界に根性論なんていらないと言われる。今は新しい部屋ができて、科学的なトレーニングや稽古方法もいろんな形に変えていっている。それはそれでいいが、やはりここ一番で爆発的な力を出すためには、ある程度は根性論も必要だと私は思う。かごの中の鳥にエサを与えて、自然に放したときに生きていけるのか。厳しく育てることも大事ではないか。それが今の若い人たちに通じるか、通じないかは私たち指導者として歯がゆいところ。」と思いを述べていました。

 

高校野球の指導にも携わるイチロー氏。

「今の時代、指導する側が厳しくできなくなって。何年くらいになるかな。僕が初めて高校野球の指導にいったのが2020年の秋、智弁和歌山だね。このとき既に智弁の中谷監督もそんなこと言ってた。なかなか難しい、厳しくするのはと。でもめちゃくちゃ智弁は厳しいけど。これは酷なことなのよ。高校生たちに自分たちに厳しくして自分たちでうまくなれって、酷なことなんだけど、でも今そうなっちゃっているからね。」「ある時代まではね、遊んでいても勝手に監督・コーチが厳しいから全然できないやつがあるところまでは上がってこられた。やんなきゃしょうがなくなるからね。でも、今は全然。できない子は上げてもらえないから、上がってこられなくなっちゃう。それ自分でやらなきゃ。なかなかこれは大変。」(2023.11.18「現代ビジネス」より抜粋)

 

「なあにくそっ」の後には「負けてたまるか」が続きます。 

講道館を設立した時、他にも多くの活動をしていた嘉納治五郎。時には金策に走ることもあったそうです。苦労の時期も「なあにっ」と踏ん張れたのは、貫くべき信念があったからではないでしょうか。貴景勝関のいう“昭和の根性と気合”は、目指すもののために努力を厭わない強い気持ちの下で育ったのだと思います。イチロー氏が語る生半可な様子の子も、厳しい練習に身を置く中で覚悟ができ、自身を高められたのでしょう。

何かを成す時、第一にくるのは『想い』。自分の想いを理解できている人は自分で負荷をかけられます。そして、明確な『想い』を持っている方が豊かな時間を過ごせることを大人は体験をとおして知っています。だから、それが不明瞭だったりそれに気づくチャンスを逃していると感じられる子には厳しさを以って向き合うのだと思います。

 

前掲した記事は、イチロー氏のコメントを受けて次のように続きます。

『自分に厳しくできない人や厳しいフィードバックに耐えられない人は、表面的には学校でも会社でもそれなりに「やさしく」遇されやすくなって快適な日々を送ることができるが、タフな人びとに経験値や成長度で大きな差をつけられてしまうし誰にもそれを埋め合わせてもらえない。今の時代は「厳しい大人」という存在を、子どもたちにとって加害的であり、抑圧したり心の傷を負う原因となってしまうリスクがあるということで排除してきた。それによって、たしかに子ども時代に理不尽やトラウマを味わう機会がめっぽう減ったことは間違いないが、かつてそういう人たちによって保証されていた「高み」に上がって来れるかどうかは、完全に「自己責任」になってしまった。』

 

一朝一夕にいかない柔道の稽古は、まさに「なあにっ」のぶつかり合いです。どうすれば伝わるか、どうやれば形になるか、どうか結果を出してほしい…。指導者、選手、保護者、卒業生、それぞれの立場で「忍之一字」。その時間が「想い」を受け止める、表すといった人間の内面を養うのではないでしょうか。

宮工柔道部の一員として誇りと信念をもち鍛錬してきた多くの先輩方を見習って、子どもたちが社会に出た時「なあにっ」と思える人になれるよう、関わり合いを大切にしていきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。